江戸の火事と家紋の普及の関係

江戸時代、京から都が移り繁栄を見せる江戸ですが、大規模な火事が何度も発生するという問題が起こります。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるくらい頻発したそうですが、この火事が実は家紋の普及に影響していたそうです。

家康入城~明治元年の間に447件もの大火災発生!

徳川家康が江戸に入城した大正18年(1590)から最後の将軍徳川慶喜が大政奉還をし江戸城が無血開城される明治元年(1868)の間に447件もの大火災が発生した江戸w
今の時代1年に1回以上東京で大規模火災が起きたら日本は沈没します。しかもこれは書物に残るような大火災限定の数なので小規模な火災やボヤ騒ぎは日常茶飯事だったようです。

火事の主な原因

①急激な人口増加

江戸幕府が開かれたことで江戸には大名や旗本の屋敷が設けられ、たくさんの武士が移住してきます。すると武士の生活を支える商人や職人なども集まり、江戸の人口は一気に増えました。

  • 寛永17年 1640年の人口約40万人
  • 元禄6年 1693年の人口約80万人
  • 享保6年 1721年の人口約110万人!

※ちなみに2020年東京都の人口は約1400万人w

②木造建築

人口増加に加え、建物は全て燃えやすい木造建築でした。そして、大名などが暮らす広大な武家地に対し商人たちが暮らす住居は1人6畳の長屋が一般的で、その狭い空間で薪を使って調理してたら普通に火事になります。

③放火

江戸時代、放火は「火付」「火府」「火賊」などとよばれていたそうです。(火付け役ってここからきてるのか?)放火の理由は物価が高い江戸での生活に困窮して行うことが多く、捕らえられる放火犯の多くは非人や無宿者などの下層民が多かったそうです。現代の犯罪に通じるところがありますね。

「菊紋の祟り」という噂が流行

江戸で大火が多いのは菊紋を粗末に扱った祟りだという噂があったそうです。

「菊紋」と言えば今では日本の国章で国を代表するイメージがありますが、織田信長や豊臣秀吉の時代には朝廷の威厳を保つために「天皇紋」である菊紋の利用は禁止されていました。しかし、徳川家康は徳川幕府の家紋「葵紋」の利用は固く禁じたものの、一方で菊紋の利用に制限をかけませんでした。このため、菊紋は武士から町民まで好き勝手に使われ完全に威厳をなくし、そのことを嘆いた土佐の儒者が「菊紋の祟りじゃー」と言ったそうです。

自分の家具や荷物を見分けるのに「家紋」が必須に

火事が起きて、皆が一斉に家具や荷物を外に運び出すときに見分けるための目印が必要になります。そこで使用されたのが家紋でした。家具には「油単」と呼ばれる全体を包みこむ布や皮がセットであり、油単には必ず家紋が染め抜かれたいました。(油単が燃えそうな気が・・・w)嫁ぐ際には、家具などの調度品に娘の実家の紋が入った油単をかぶせて持ち出すのが一般的でした。

このように江戸時代には町人の間でも家紋を持つのが一般的で、火災の際には自分の荷物を見分けるために家紋が活躍したようです。